2024.04.19 Fri
関市

縦横無尽に舞う墨線

「川」という字は、縦3本と決まっている。5本も7本も書くことはできない。文字には決まりごとがあり、そこからはみ出すことはできない。だが桃紅は、戦後まもなくから縦3本に飽き足らなくなり「縦の線を無数に、永遠に尽きないほどの線を引きたい。」と思い始めた。新進気鋭の女流書家として注目を浴びていながら、1956年9月に単身渡米する。あえて日本を離れ、文字が文字として読まれない海外で、作品がどのように理解され、評価されるのか、国外での発表を試みた。

当時のニューヨークでは、ジャクソン・ポロックが絵具を滴らせるドロッピング技法を用いたり、デ・クーニングが全身を使って激しい筆致で描くなど、抽象表現主義が大きなうねりを上げていた。世界中から集まった芸術家たちが、既成の概念を破り、人種やジャンルを超えた表現の可能性を広げていた。400を越えるギャラリーがしのぎを削るニューヨークで、10指にも満たない一流画廊の一つ、バーサ・シェイファー画廊での個展が実現。無名の桃紅の作品は、どこにもない墨のアートとして高い評価を得た。約2年間滞在し、ボストンを皮切りにアメリカ各地で個展を開催。熱気に満ちあふれ、個が尊重されるニューヨークの空気は、何ものにも囚われない自由な表現とかたちを希求していた桃紅を勇気づけ、解放していったのである。

1954年に制作された《星霜》は、渡米直前の1956年3-4月の個展(養清堂画廊)に出品した作品である。桃紅の創作意欲がほとばしったような墨線が、画面を縦横無尽に舞っている。文字を解体したような“読めないけれど美しい”勢いのある線の連なりは、文字の意味に拠らず、純粋に視覚性の美を追求し、生まれたかたちである。流れるような筆勢、制作過程において出来る限り描くための意識を排除したオートマティズムには、前衛書道というよりも現代美術としての造形性がうかがえる。この時すでに、書と絵画といった領域を乗り越え、日本という枠を超えたところに、自身の新たな表現を探求し始めていたのである。

《星霜》 1954年 墨、和紙 140×69

《星霜》 1954年 墨、和紙 140×69