2024.04.19 Fri
関市

不二

山中湖近くの富士の山裾に桃紅の山荘はある。古い家を移築した山荘は、桃紅が創作から離れた時間を過ごすための空間である。毎年避暑に訪れ、日がな時間を忘れ、富士をただ見て過ごす。日々、一日の内でも刻々と姿を変える富士のいろに墨いろを想い重ね、岩間に滴る水を持ち帰り硯に注ぎ、墨を磨るという。しかし、富士を眼前にして桃紅は、その大きさに包まれ、うつろいゆく姿に見れども見難いものが限りなく含まれていることを悟る。それは桃紅が墨と向き合う時の、墨に抱く畏れや謙虚な眼差しと重なり、色が心に映らなければ墨に色が映ることはないということを思い知らせるのだろう。

『万葉集』の中に、山部赤人の「天地の 別れし時ゆ 神さびて 高く貴き」で始まる有名な長歌が収められているが、古代より日本人にとって富士は長高きものの象徴であった。これまで桃紅は、富士そのものを描いたことも描こうとしたこともないという。それは、赤人が歌うように、「語り継ぎ 言ひ継ぎゆかむ」ほかにどんな手だてもないほど、富士は、桃紅を謙虚にさせ、強く墨いろを思わせるものだからなのだ。