コレクション
花がたみ「篠田桃紅 詞花」
「ひのきの」1955年以前 墨、和紙、軸
篠田桃紅は、少女時代より詩歌に親しみ、美しい文章に心ひかれたといいます。好きな歌を思い出しては口ずさみ、紙に書く。桃紅にとってそれは、「書く」という行為ではなく、その意味内容よりもさまざまな情景を想像させる詩歌とともに心におとずれ、萌したものをかたちにする、「描く」という表現のひとつでした。
桃紅が求めつづけるもの、それは自ら生み出したこころの線であり、見る人のこころを深くとめるかたちなのです。本展では、桃紅が書から抽象絵画へと移行する1950年代の作品のなかから、詩や歌を題材とした作品を中心に紹介します。
「珠紅」
1985年頃 墨、和紙、銀地
「銀赤黒」
1970年以降 墨、朱、和紙
「黄昏の」
1956年以前 墨、和紙
「ある文字」1950-54年以前 墨、和紙
篠田桃紅芸術月間 −2009− 花がたみ
岐阜現代美術館、関市立篠田桃紅美術空間では、桃紅の生まれ月を「篠田桃紅芸術月間」とし、展覧会にあわせてコンサート、作品鑑賞会などの関連イベントを開催いたします。
篠田桃紅 (しのだとうこう)
<プロフィール>
1913年、中国大連に生まれる。岐阜は本籍地。5歳の時、父の手ほどきで初めて墨と筆に触れ、以後独学で書を極める。第二次世界大戦後、文字を解体し、墨で抽象を描き始める。1956年渡米し、ニューヨークを拠点にボストン、シカゴ、パリ、シンシナティ他で個展を開催。58年に帰国して後は、壁画や壁書、レリーフといった建築に関わる仕事や、東京芝増上寺大本堂の襖絵などの大作の一方で、リトグラフや装丁、題字、随筆を手掛けるなど、活動は多岐にわたった。1960年代の激しい筆致はやがて叙情性をたたえ、80年代から90年代にかけては、線はより洗練された間を構成していった。
近年、面と線は寄り添い、朱はあくまで高貴に、墨は静かに鋭く、あるいは控えめに層をなしている。
2005年、ニューズウィーク(日本版)の「世界が尊敬する日本人100人」に選ばれた。また同年、5メートルを超える絵画を制作するなど、筆勢は留まることがない。